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刺繍の歴史とあゆみ

「人間」が衣を身に付けるようになり、当初は草木の葉や樹皮あるいは動物の皮をつなぎあわせただけのものであった「着る物」が、次第に美的装飾を施すようになり、これが「刺繍」の歴史のはじまりです。
1針1針丁寧な手作業で美を形成する手芸や刺繍芸術は今も脈々と受け継がれていますが、その一方で、能率化の道具としてミシンが利用され、更にはミシン機能とコンピューター機能が合体して精密、高速化、高機能化と各種の専用機が作られるようになりました。

手縫い刺繍~横ぶり刺繍

サンプル

手縫い刺繍

現在でも職人技で手縫い刺繍が行われているのが、羽織はかまの紋です。絹糸を使い1針づつ刺す刺繍です。家紋の刺繍は流派があり、師弟制度で技術を伝授しつづけています。

手振り刺繍

昭和の初期ごろ、ミシンの布押さえなどをはずしミシンをふんだ状態で、布を手で前後左右に動かして、刺繍をしていました。

横ぶり刺繍

その後ジグザグミシンが開発されそのミシンの布押さえをはずし、ふり幅を調整する機能を使い、前後方向に布を移動しながら刺繍を形成します。 その後、ふり幅をヒザでコントロールできる専用の刺繍ミシンが開発されます。
これが、横ぶりミシンの始まりです。現在もネーム刺繍で横ぶりミシンが活躍しています。

機械化、ジャガード刺繍機、多頭化

刺繍機(ジャガード)

刺繍を自動化した刺繍ミシンの最初が、ジャガード刺繍機です。厚紙でできた帯状の紙に規則的に穴を開けておき、その穴を機械仕掛けで読み取りその情報をキャムを利用して縦と横の動きに変え、ミシンに連動縫いさせる構造。オランダなどにあるオルゴール式のオルガンと、発想が似ています。
はじめは1台のミシンで構成されていましたが、次第に2台、3台と連結して量産が可能になりました。

日本ではタジマ工業(株)が、連結刺繍機を多頭式刺繍機として生産を開始。ワンポイント刺繍ブームがきます。ブームの中、アーノルドパーマーに代表されるような多色刺繍の需要がたかまります。

当初は1色(1針)しかできないため、途中で糸を取り替えて多色の刺繍をしていました。取り替えるのは非効率なので、糸屋に特注で5色を1本の糸に5メートル間隔で染め効率化をはかった業者も現れました。需要にこたえるためタジマ工業(株)は1頭に6本の針を備えた多色機を発売します。

電子刺繍機

電子刺繍機

昭和50年ごろ刺繍機もコンピュータ化されていきました。
ジャガードテープは8単位テープといわれる3cm幅の紙テープにかわり、テープリーダーに読ませ、枠駆動もメカ式からXとYの座標パルスモーターへと変化しました。すぐに刺繍データをメモリー化し、自動糸切装置も開発され確実に自動化していきました。

特殊刺繍機

特殊刺繍機

ハード面やソフト面が成熟したころ刺繍機としての可能性を拡大していきます。
その1つとして、ひもやテープを縫い付ける専用機が登場します。巻き縫い、千鳥がけといった技術も拡大していきます。
2つ目が環縫い構造ミシンの応用で、カギ針をもちいて生地のうらから引き上げて縫う刺繍「環縫いハンドル刺繍機」。
この刺繍機で、チェーンステッチ、サガラ刺繍、パイル刺繍などが開発されていきます。

刺繍機はアパレル産業での需要に反応して成長しました。量産刺繍の場合は生地が裁断状態で刺繍してきました。
しかし、大きな需要と別に、タジマ工業㈱は完成品の服に刺繍する刺繍機や小ロット対応刺繍機、さらにはレーザーカット刺繍機を開発します。アパレル産業が中国に移管するにつれて国内需要は後者の刺繍機に焦点が集まっております。

現在

工業用の刺繍機と同様に、刺繍のデーター機器も同時に進化してきました。近年の小ロットの需要が高まる中、いかに綺麗に短時間に刺繍データーを作成するかがポイントとなってきました。
オリジナルマークや図柄の作成は、スキャナーを用いて画像を取り込みアウトラインを的確にとって、刺繍データーを作成するのですが、文字などは、あらかじめ、刺繍データーのフォントファイルとして組み込まれ、テキスト入力で、その刺繍文字が構成することにより、時間短縮になりました。最近では、刺繍データー作成ソフトから、ベクトルデーターを作成し、カッティングマシンへ出力したり、刺繍の出来上がり予想画を他プリントソフトへ出力し、刺繍をしたかのようなプリントも可能になりました。

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